ながさき歴史文化ネット

MENU

重要文化財指定記念特別展「対馬藩と朝鮮通信使~12万点の宗家文書が語る歴史の真実~」

「盤谷 李徳成肖像」韓国宝物・海外初出品 釜山博物館蔵

歴史の証人「宗家文書」から見える対馬藩宗家と日朝交流

10万石以上格の大名として江戸時代を生き抜いた対馬藩宗家。対馬・長崎・江戸・朝鮮釜山を股にかけ、国際交流をリードしていました。
江戸時代の日朝外交は、12回の朝鮮通信使が来日し、華やかな行列と共に文化交流も深まりました。その裏で、対馬藩宗家は外交の実務を担い、両国の関係維持に尽力していたのです。
また、東アジア世界への窓口であった長崎と対馬藩は深い関係があり、海を通して長崎・対馬・釜山は強くつながっていたといえます。

対馬藩宗家と伝来した宗家文書の魅力は、大きく4点挙げられます。

1,歴史の玉手箱「宗家文書」

対馬藩の記録である宗家文書は、国内外に12万点が伝来する日本有数の大名家資料群です。その中には、国元対馬のみならず、江戸・大坂・京都・長崎などの在外屋敷、釜山倭館といった各方面で展開された対馬藩政が詰まっています。対馬藩が行った外交や藩政の「現場の生の声」を聞くことができるのです。江戸時代に長崎・江戸・朝鮮釜山を股にかけ、外交・藩政・幕府など東アジア世界への窓口として活躍した対馬藩記録の迫力と魅力がここにあります。

2,華やかな日朝交流と対馬藩の努力

豊臣秀吉の文禄・慶長の役ののち断絶した日本と朝鮮との国交は、対馬藩の努力により再び国交が結ばれ、徳川将軍に朝鮮国王の国書を渡すための朝鮮通信使が派遣されました。使節は、基本的に江戸まで旅行して江戸城で盛大な儀式を行い、対馬・江戸間で500名近くの大行列が展開されました。道中では、日本の学者や文人と文化交流が行われるなど、異国文化に接する貴重な機会となりました。

外交使節を迎えるにあたって対馬藩や道中の諸藩・江戸幕府は、七五三膳・杉焼・菓子など最高級のもてなしで、使節を歓待しました。幕府や諸藩は対馬藩に食材や調理法など饗応に関する情報を問い合わせ、饗応の準備をしました。朝鮮通信使への饗応は両国の食文化交流の舞台となり、倭館で対馬藩が経験した交流と合わせ、その後の両国の食文化において大きな影響を与えました。

3,海がつないだ長崎・対馬・釜山

江戸幕府の外交政策は制限されたものでした。その中で、長崎と対馬は海外への窓口として、貴重な交流の場となっていました。対馬藩は、長崎奉行や諸藩との連携、長崎で仕入れた商品・銅による倭館貿易、幕府が展開する漂流民送還体制の一端を担うことにより、東アジア世界での確固たる地位を築いていました。江戸幕府にとっても長崎・対馬の両窓口は、一体化した重要なものと位置づけられました。海が長崎・対馬・釜山をつないでいたのです。

4,歴史の証人「宗家文庫資料」はどう守られてきたか

対馬藩宗家では、領内の統治、江戸幕府や諸大名との関係、対朝鮮外交など、各方面で記録を残し、膨大な宗家文書が作成されました。役所ごとに日記や業務記録を残すことで藩の運営や外交交渉を円滑に進めようとした対馬藩の江戸時代は「記録の時代」とも呼ばれています。

それらの記録がなぜ作成されたか、また歴史の証人「宗家文庫資料」はどう守られてきたか、そこには対馬藩の人々が綿々と守り受け継いできた姿が浮かびます。

本展覧会は、平成24年に長崎県立対馬歴史民俗資料館所蔵の宗家文庫資料が国の重要文化財に指定されたことを記念し、国内に伝来する対馬藩宗家関係資料の逸品をご紹介する企画展です。4つの見どころを、紹介したような、国内外に残る12万点におよぶ宗家文書からうかがえる、対馬藩宗家の輝きをぜひご覧ください。

長崎歴史文化博物館 研究員 岡本健一郎