未完の青春―横手貞美展
長崎県美術館では、開館以来「長崎の美術」と題するシリーズ展示を開催しています。常設展示室の一部を使って明治以降の長崎ゆかりの美術を検証(かつ顕彰)するもので、第一弾として写真(上野彦馬から東松照明、雜賀雄二まで)を、その後は山本森之助、渡辺与平、彭城貞徳という、明治から昭和初期にかけて生きた長崎出身の画家たちを紹介してきました。第二弾以降で取り上げたのは、(彭城は除いて)存命中こそ中央画壇で活躍したものの、歿後はほとんど忘れ去られていたといっていい画家たちです。しかし学芸員たちが作品と資料を丹念に調査した結果、改めて彼らを「地域の誇り」として位置づけることができたと考えています。
現在開催中の「未完の青春―横手貞美展」は、この「長崎の美術」シリーズの第五弾。昭和初期に荻須高徳、山口長男らとフランスに渡り、当時パリにいた佐伯祐三の影響下に精力的な制作活動を展開するも、31歳の若さで客死した横手貞美(1899-1931)の画業を振り返る展覧会です。
ちなみに横手の本籍地は大分県ですが、早くに父親を亡くし、保護者となった兄が長崎市に住んでいた関係で少年時代を長崎で送ったこと、横手が客死した後、遺作がその兄によって長崎で管理されたことなどから、長崎県では、当館の前身である長崎県立美術博物館が、1960年代の開館直後から「長崎ゆかりの画家」として横手の作品の収集を続けてきました(1971年には横手の回顧展を開催してもいます)。同館の明治以降のコレクションを引き継いで2005年に開館した長崎県美術館も、ほぼ毎年収集を重ね、現在では油彩50点、スケッチブック9冊、その他資料を所蔵するに至っています。本展は、当館のコレクションに借用作品を加えて構成したものです。
さて、この横手、長崎の海星中学校を卒業後に上京、東京美術学校を受験するものの失敗し、主に本郷洋画研究所で学んだのですが、画業が本格的に充実するのは1927(昭和2)年の渡仏後のこと(その後他界するまでの三年余りで200点以上の作品を描いたといわれています)。生前は国内の主だった展覧会に出品しなかったため、これまで「長崎の美術」で取り上げた誰よりも世に知られておらず、かろうじて「佐伯の周辺画家」として知る人ぞ知る存在だったといえます。しかし彼の残した作品を見れば、確かに佐伯に似た作風ではあるけれど、荒削りで素朴で独特の力強さがあり、そこには彼自身のまぎれもない個性が滲み出しているのです。これはぜひともきちんと再評価しなくてはならないと思われました。
こうして展覧会開催を前提とした調査を始めたわけですが、歿後80年以上、1990年代の「佐伯の周辺画家」としての再評価(1991年に芦屋市立美術博物館と長崎県立美術博物館、稲沢市荻須記念美術館が共同開催した「パリを描いた画家たち―佐伯祐三・横手貞美・大橋了介・山口長男」展でのことです)からも20年が経過し、これまで横手単独の展覧会図録も刊行されたことがない中で、作業はほとんどフィールドワークのようなものになりました。長崎県美術館以外の作品の所蔵者を捜索し、国内各地に点在する個人、企業、美術館など、確認し得た所蔵先の全てに赴いて作品を実見し(その際、横手の親族の方々を始め、関係者の方々から多大なご協力をいただきました)、合計90点以上の作品を調査しました(その他スケッチブックや日記、書簡、アルバム類も調査しています)。さらにフランスでの調査も行い、横手がサロン・ドートンヌやアンデパンダン展といったパリの展覧会に出品した際の新聞等に載った展覧会評や、横手が描いた場所の確認を行って、いくつかの収穫を得ることができました。
こうした調査を経て開催した本展は、横手の単独展としては実に42年ぶり、規模としては最大のものとなりました。また併せて刊行した図録(全270頁)は、横手の生涯と画業を可能な限り包括的に見通せるようなものを目指し、作品総目録を始めとして日記、書簡類、写真などの資料も可能な限り収録しました。
とはいえ、横手研究はまだ緒についたばかりです。本展が、横手貞美についての広く深い関心を呼び覚ます一助となり、今後さらなる調査研究が進むことを願っています。
長崎県美術館 学芸専門監 福満葉子