軍とともに歩んだ大村の近代史
大村市は、キリシタン大名大村純忠や天正遣欧少年使節など、東アジア世界における多彩な文化交流などを歴史的特徴とするまちです。そのような大村のもう一つの歴史的な「顔」が、近代における「軍都」のまちでした。
日清戦争(1984)後の軍備拡張の動きの中、1896年(明治29)、熊本で編成された歩兵第46連隊が翌年には大村に設置され、ここに「軍都」大村の歩みが始まりました。
1871年(明治4)の廃藩置県は、武士層の流出によって城下町大村を衰退させました。歩兵第46連隊の設置は、大村が復活する契機として期待されました。事実、連隊の設置後、長崎‐佐世保間の鉄道開通、大村・松原両駅(ともに1898年)の開業など、軍を核とした都市形成が進みました。さらに、1922年(大正11)には国内4番目の海軍航空隊が設置されるなど、大村と軍の関係はますます深くなります。
1941年(昭和16)、大村に第21海軍航空廠が設置され、日本全国から工員とその家族が集まり、「東洋一」の工場が生まれました。航空廠の設置は、翌1942年に大村町と周辺5村(三浦・鈴田・萱瀬・福重・松原)の合併により、現在の大村市の誕生へとつながります。これにより、人口は合併以前の39,572人から55,901人へ、更には62,931人(1944年)へと増加しました。
一方で、このような軍関係施設の集中は、太平洋戦争中、アメリカ軍の攻撃対象にもなりました。特に1944年10月25日の空襲は、航空廠と市民に大きな被害を残しました。そして、敗戦。航空廠をはじめとする旧軍関係施設は解体され、大村市は新たなまちづくりを余儀なくされます。当初大村市は、これら旧軍施設跡地への教育機関の誘致による学園都市形成を目指します。その後、実現したのが警察予備隊(現、自衛隊)の誘致でした。その最初の駐屯地は、奇しくも軍都形成の第一歩となった歩兵第46連隊の跡地でした。今も自衛隊3部隊が駐屯する大村市は、今なお近代大村の歴史とつながっていると言えるでしょう。
大村市立史料館では、戦後70周年を迎えた今年、10月3日(土)から上記の近代大村の歴史を振り返る特別展「「軍都」大村の歩みと市民?回顧1896‐1945?」を開催します。近代大村の歩みを見つめ、その中で生きてきた市民の生活を見ていくことで、改めて大村というまちの形成や、平和について考えていただくきっかけになってもらえればと思います。
大村市立史料館 学芸員 山下 和秀